2017年01月26日

どうしても観たかった『Born to be blue(青に生まれついて)』


写真 4.PNG

イーサン・ホーク主演のChet Bakerの映画がどうしても見たくて、
チェックしてみたらまだUPLINKでやっていることが判明。
だけど、12:20の回のみ、、、!
朝9:30くらいに起きなくてはいけないということ!
ふだんはそれくらいの時間に眠りにつくのに。

よく見てみたらサービスデーだとかで1100円とか書いてあるし、
これは行くべきなんじゃないかと思い、
がんばって3:00に寝て、
ちゃんと起きることができた!


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昔から、映画館で映画を見るときは
集中ができなくて、
あと、まわりに人がたくさんいるから
それが安心して毛布のように感じられて
必ず寝てしまう。
どんなに楽しみにしていた映画でさえも!!


「今回の 『Born to be blue(青に生まれついて)』も間違いなく寝るだろう!」
とBFに断言されていて、
自分でもそう思っていた。
が、驚いたことに、寝なかった。

映画自体は、ちょっと数シーン見ただけでも
画面の締まりがない感じがして、
駄作感がそこはかと漂っていたというのに、
イーサン・ホークの繊細な演技がすごくて目が離せなかったから。

しかし、私の中では映画がよかったかどうかは
けっこうどうでもよかった。
早起きして映画を眠らずに見終えることができた!
と達成感がうれしかった。



関係ないけど、時々、
イーサン・ホークがグレン・グールドにそっくりにも見えて、
途中、何回か「あれ?なんの映画を見ているんだっけ?」と思った。





チェット・ベイカーとグレン・グールドの
ブルー具合が似ているのかもしれない。
グレングールドの生涯を誰かが映画化する時には、
絶対にイーサン・ホーク主演にして撮ってほしい。



映画館で見ると、私には画面が大きすぎて、
DVDで見る時とは違い、
頭の中にストーリーとして残ることはあまりない。
全部すぐに忘れてしまう。

でも、イーサン・ホークの演技だけは
切れ切れに頭の中に残るだろうと思った。






そういえば、チェットベイカーが、復帰のために
田舎にこもってトランペットだけと向き合っていた時間が
とても濃密に見えて羨ましかった。
その間は、世の中には出ていないけれど、
出ているときの何十倍もいろいろなことを
感じ、学んだ時なのではないかと思う。

タロットが、
「動けないときはもがかずに、自分との濃密なデートの時間だとおもって楽しんで」
とよく言うのは、
まさにこのことと思った。



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写真 1-3.JPG 

BFと、「芸術家」についての話をしながら、
岡本太郎記念館に向かった。

『舘鼻則孝 呪力の美学』の展示を見るため。

写真-2.JPG

これは、チラシが図書館においてあって、
それを見た時に「何?!このすてきな作品は!!!」
と目が釘付けになったから。

岡本太郎記念館は18:00で閉まってしまう。
夜型の私には早い閉館のため、
今まで行きたいと思っていたけど行ったことがなかったので
ちょうどよかった。

写真 3-3.JPG

舘鼻氏の作品は、岡本氏の作品群と一緒に置かれていたため、
どちらのの作品なのかがよくわからなくて混乱したが、
入ったときにもらった目録を見るとちゃんと書いてあった。

だけど、メインのあの赤いヒールレスシューズは、アトリエではなくて、
2階の奥の、頭蓋骨が飾ってある部屋にあったほうが
いいのではないだろうかと思った。

作品は数点のみで、もっとたくさん見てみたいと思った。



(こんな素敵な作品もありました✨)
写真 4-2.JPG


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写真 2-1.JPG

その頭蓋骨が飾ってある部屋では、岡本太郎氏のフィルムと声が流れていた。

「世の中上手くやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、上手くはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。流されて生きているにすぎない。」岡本太郎


他にもたくさんすてきなことを語っていて、
タロットのいつも言っていることと通じていて
ビバビバときて興奮した!

落ち込んでいる人や、これからどうしよう…、と困っている人は、
ここのこの部屋で数時間座っていたら
とてもスッキリするのではないかと思った。



写真 3-2.JPG




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芸術ってなんだろう?

「ぼくが芸術というのは生きることそのものである。
 人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、 
 その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。 
  “芸術は爆発だ” 
  (中略)
 全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。 
 それが爆発だ。 
 人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。  
 いのちの本当のあり方だ。」 岡本太郎(ピクシブ百科辞典より引用)




と岡本太郎氏は言っていた。
(太郎さんはなぜこんなに宇宙の言葉をキャッチしているのだろうか?!)



唯一無二の存在であり続けることが
重要な気がする



posted by R (あーる) at 02:48| Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

神に捧げるスピード、アイルトン・セナの映画

アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ (字幕版)
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大竹しのぶさんの自伝で、
ギリシャには昔たくさんの医師たちが集まっていて、
そして円形劇場で芝居が上演されていたのは、
患者たちのセラピーの一環だったと
書いてあるのを読んだことがある。

俳優たちが表現する
怒りや憎しみや狂気が
患者たちを癒すようだ。

私も、何か癒されなくてはいけないことがあるようで、
気が狂いそうな激しい残虐サスペンス映画が好きでよく見る。

それから、狂気を感じるような速さのレースの映画も大好き。

今晩は、アイルトン・セナの伝記映画を見ていた。
息ができないくらいの速さ。
アイルトン・セナは、
「普通の人間の感覚は最初のトンネルのところで失い、別の次元の感覚に支配される」
というようなことを言っていた。
そのような感覚に自然とならない限り、
あんなところで走ったりはできないのだろうと思う。

そんな超人的な感覚の走り、
しかも車の中についているカメラからのアングルでみるレースは
息ができないほどの、ほんとうにこの世のものとは思えないテンションだった。

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アイルトン・セナは、事故で亡くなる日の朝、
彼が神の声を聞こうとして聖書を開いたら
「きょうはあなたに驚くべきすばらしい贈り物を捧げよう。それは神自身である」
というような内容を読んだそうだ(彼のお姉さん談)。

これはふつうの人間的な観点で捉えれば、
優勝か? などともとれるかもしれない。
彼がそれをどうとったかのかはわからないけれど、
彼の死は正しかったのだと
この映画を見るひとは思うんじゃないかと思う。
わたしもそう思った。

彼はF1レーサーとして、いろいろな人に影響をたくさん与え、
華麗にミッションをこなし、
神がOKを出したときに、家に戻ったような
そんな感じがした。

アイルトン・セナは自分を神に捧げていたと思う。
そして神は彼を使ったように感じた(この世にあらゆる影響を一気に与えるために)。





アイルトン・セナに捧ぐ~アイルトン・セナ・オフィシャル・トリビュート・アルバム
posted by R (あーる) at 05:56| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

『365日のシンプルライフ 』

365日のシンプルライフ [DVD]
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365日のシンプルライフ [DVD]という映画を見た。

欲しいものはなんでも持っているのに
幸せじゃなかった彼は、
持ち物のすべてを倉庫に預けてしまう。
パンツから靴下、洗濯機、掃除機まで。

毎日そこから1つずつモノを持って来ても良いが
365日の1年間、新しい物は絶対に買わない、
というルールを自分に課して過ごす過程を記録した
ドキュメンタリー。

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丸裸で、真夜中に倉庫に走っていく彼が
一番最初に取ってきたものはコートだった。

家には何にもないから(でも暖房はついているみたい)
コートを寝袋みたいにして寝るんだけど、
私だったらまず毛布をもってくるな、と思った。

だけど次に倉庫にいくときのことを考えれば
コートを着ていれば怪しくみえないから良いのかもしれない。
そして週明けに仕事にいく時のことまで考えて
まずはコートを選択したのだろう。

マットレス、仕事に着ていく服、鞄、
など、社会生活に支障がない程度の
暮らしができる数個を取ってきた時点で
彼はとりあえず満足したみたいだった。

朝起きたとき、幸せだと言っていた。
こんなふうに毎朝が続けばユートピアだと言っていた。

ものがないというだけで、
そこまで幸せを感じることができるなんて…!!


それから彼は、数日、何もとりにいかないで、
取りに行くときにそのぶんもまとめてとってきていたが
そのルールはどうだろう??

それじゃあ、ひとつずつのものに対しての感情を
しっかり味わえなくなるんじゃないかと思って。

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それから、携帯電話は一応取りにいくが、
仕事以外では使わないと決めていた。
だけどパソコンを家で私用に使うならば
あんまり意味はないんじゃないかと思った。

彼が、テーブルで日記を書いて、
そして携帯を手にしたとき、
見ていて何か違和感をかんじた。
それはこの映画の趣旨にということだけど。

ハダカで1から始めるほどの過剰な実験をするならば、
デジタルコミュニケーションツールを
家では徹底的に廃止してみたらよかったのに。

私の場合は、仕事以外で携帯を使うな!と言われても
困らないと思う。
仕事では非常に困るが、仕事以外では、
唯一連絡を取りたいBFも携帯電話を持っていないし、
自分のは機種が古すぎてほとんどアプリケーションも
もう入れられなくなっているし、
携帯電話の意味があまりないからだ。

だけど、これがある、というだけで何かが違うとは思う。

彼の場合は、自分のものを捨てたわけではなく、
取りにいこうと思えばいつでも取りにいける
自分のモノがすべて保管された倉庫がある。

実験だからいいんだけど、
取りに行けばそこにすべてがある、というのと
すべて完全に捨ててしまってどこにも私物はない、
というのとは雲泥の差があると思う。

最後にその倉庫に起きっぱなしにしていたものをどう処分したのか
知りたいと思った。

彼がいうのは、
人は大体100個くらいモノがあれば普通に生きていける
そうだ。
そこにもう100個+すればもっと楽しめる
らしい。

札幌から引越してくるときにおもったけど、
段ボール10箱にだってたいしてものは入らない。
1つの段ボールのなかにだって
10個以上は絶対ものが入っているわけだから、
1人につき段ボール15くらいで引越をすれば
健全な感じになるんじゃないだろうか。


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フィンランド人、というせいなのか、
さっきの勝手なルールの件も含め、
マイペースな感じで撮られた映画
という感じだった。

でも、インパクトはあった。
それだけがこの映画に私が求めていたものだった十分だった。

それは、モノがないと人はとっても幸せそうで希望に満ちている、
ということ!

それって、どういうことなんだろう?

いま何も持ってないから、これから増やすことが楽しみっていう気分なんだろうか?
それとも、自分の責任のあるモノがないというシンプルな状況が
素直に楽しいんだろうか?
両方だろうか?




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できれば私も、何もかもを捨ててしまいたい。

捨てることをしたいわけじゃなくて、
所有することをやめてしまいたい。

だけど、まだ読んでもいない母の日記を捨ててもいいのか?
とか、
家族の写真を捨てたら
いつか自分がひとりぼっちで寂しくなったときに
自分が誰から生まれて
誰から愛されたか
信じられなくなって悲しくなったらどうしよう??
とか思うと捨てられない。

たとえそれらを切り離して倉庫にいれて
10年経ったとしても、
一見シンプル風に暮らすことができたとしても、
自分のエネルギーはやはり倉庫の中身と
どこかで繋がっているだろうと思う。

そう考えると、この実験は、
本当に仮のカタチのシンプルライフの追求
というものをしてみたんだなと思う。

ただ、1年の後、取りにいかなかった残りのすべてを
捨ててしまったというのであれば
それはまた別の話。

捨ててしまっていたらいいのに。

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ちなみに、
フィンランド人にとって冷蔵庫は必須みたい。
彼のおばあちゃんも、お母さんも、
冷蔵庫は大切だと言っていた。

彼は窓と窓との間に食べ物をおいて冷やしていたから
それほど冷蔵庫が必須のようにはみえなかったけど、
それでも冷蔵庫は取りに行っていた。




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上記の映画を見た時期、この本を読んだ。
かっこ良くて真実で、最高に痺れた!!
     

孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智 (智恵の贈り物)
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posted by R (あーる) at 23:30| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月12日

ファンタジックに生きるということ『ビル・カニンガム&ニューヨーク 』

BMfjRzsCcAAuDCp.jpg
(バルト9の13Fまでのエスカレーターから見える夜景がきれい。写真を撮ったらくっきり自分たちも映り込んでいておもしろかった。)


話題の『ビル・カニンガム&ニューヨーク 』!
チラシ.jpg

映画館にいくと
必ずなぜか眠ってしまうんだけど、
今回だけは寝ないで最後まで楽しく見ることができました。

だけど、正直言うと、
「あれ?これでおわり?!」って最後に思ってしまった。
ビル・カニンガム氏の紹介みたいな感じで
作品が終わってしまったから。


だけど、よくよく考えれば、このタイトルは
『ビル・カニンガム』ではなくて
『ビル・カニンガム&ニューヨーク 』
なわけだから、
これでいいと言えばいいんだなとも思う。

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Iris Apfel(アイリス・アプフェル)氏の
「彼は裕福な生まれではないかと思うわ」
「ビルの着こなしはおしゃれだと思う」
などの鋭い台詞が
私の中に謎を植え付けたのかもしれない。

すごい熱意、とか一言で言えるような
パッションの程度じゃないと思うんですよね。
ビル・カニンガム氏のファッションへの思いは。
私の彼の言葉を借りれば「病気級」。
オタク、ともとれるかもしれないけれど、
なぜかそれとも違う気がして。

ビルカニンガム.jpg

彼は誰にも飼われていないから
感じたままのことを好きなように
発表できるんだけど、
誰にも邪魔をさせないで
本当のことを言ったり
自分のやり方を通したりするのは、
非常に難しいことだと思う。

彼のように仕事でお金をもらわないようにしたり、
誰とも深くつきあわなかったり、
パーティーに行っても水も飲まないで
その世界にズブズブにならないように
いなくては
ここまで自由になんかやれないだろう。
だから自分のおしゃれもミニマルにしか
しないんだと思う。
客観性を保つために。

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これも、街の中やパーティーで
何十年と数えきれないほどの流行を
追い続けたからこそ
見える境地なのかもしれないなどとも思った。

めまぐるしく変わる流行や
ステイタスのパワーの脆さなどを
たくさんたくさん見てきた中で
ぶれない自分が作られたのかなと思った。
(元々ぶれない人だったのかもしれないけど。)

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興味深い人だからこそ
もっと深く知りたかった。。

だけど、もしかしたら
それこそパパラッチ的視点なのかもしれなくて、
そんな必要もないのかもしれない。

私たちは、ビル・カニンガム氏の生き様を
見る中から何かを感じ取るだけでいいんだろう。
人それぞれのやり方で。

The New York TimesでのBill Cunningham氏のコラム『On the Street』

ビル・カニンガム氏のように、
人間はもっとファンタジックに
生きていいんだと思いますね。
宇宙は積極的にそう促しているような気がしますドコモポイント


※この場合のファンタジックっていうのは、
まちがっても夢うつつとかいう意味ではなく、
自分の理想の世界観を基準に持ってきて、
そこに現実を合わせるという意味。
タロットもよくみんなに
「もっとファンタジックに生きてみて」
と同じ意味ですすめている。

posted by R (あーる) at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

待ちきれないよビル・カニンガム!

『ビル・カニンガム&ニューヨーク』
観たい観たいと思っていたら、
いつもおもしろい映画の試写があるとき
誘ってくれるbakabrosちゃんが
「ビル・カニンガムの試写会に行くんだけど一緒に行かない?」って!
でも、仕事で行けなくて残念だった〜〜〜〜!



$thinking of fashion


Twitterで感想聞いたら、
「お洒落心に火を付けるどころか今家にある洋服全部に火をつけたくなるわ。」

「なんで?」
と聞いたら、

「家のクローゼットの何のこだわりもないただの服たちを捨てたくなるのよ!」


って言ってた。

この感想聞いて
やっぱり絶対観たいと思いましたね!

まだ観てないからこれ以上言うことはありません。

映画館で映画みるのって好きじゃないけど、
今回はDVD化まで待てないな!



大内順子さんの公式ブログでも、この映画について書かれていましたよ!
「実録映画“ビル・カニンガム&ニューヨーク”」



posted by R (あーる) at 17:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月08日

おもしろことが言えるということは、

素敵な人生の終り方 [DVD]
アメイジングD.C. (2012-07-04)
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なつかしのアダム•サンドラー!
数年前はいっぱいこの人の映画みてたよな〜。
太陽な感じがして大好きだった。
しばらくなぜかコメディの気分じゃなくなったから
観てなかったけど、
久しぶりにみるとやっぱりいいな!


コメディアンの卵の心優しい青年と、
白血病を言い渡されて死が迫っている
大スターのコメディアンの話。

スターに憧れていた青年が
超大スターに近づく事ができて
自分の世界もどんどん広げてもらって…、
もうこれだけでも、ひかれますよね!

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これを観ていちばん感じたことは、
性格が悪い人間ほど
おもしろいということだ。
日頃よくBFがこのことを言っているけど。

辛辣な人間ほど、人や物事のあら探しが
うまいからなのかもしれない

って思っていたけど、

この映画をみて、
そういう事だけでもないってことがわかった。
おもしろいことが言える人間は、
人の気持ちなんて考えずに
ものを言う人間でなくてはならないのだ。

モラルを持っている人間は
そういうことができないので、
みんなの予想範囲内のことしか言えないけど、

モラルなんて持っていない人間は
そこを超えたところまで
平気で言ってしまえるんだと感じた。
というか、言わずにいられない…?


:::::::::::::::::::

だから、いくらおもしろいことが言えて
遠くの人間からは愛されたとしても
当然孤独になるんだけど、
それは仕方がないことだ。

俳優でいえば、
空っぽな人間性であればあるほど
良い演技を見せてくれるような気がするし。

:::::::::::::::::::

持って生まれた才能のせいで
孤独になっている人は
たくさんいると思う。
しかし、それはその人が
無意識に選んでいるライフなので
ほんとうに仕方がない。
中途半端にいい人でいるよりも
ずっといいと思いますけどね猫

この映画の主人公は、
僕は死を目の前にして変わったんだ
っていうけど、
人はそんな簡単には変われない。

でも、どんなにひどい人間性をも
受け止めてくれて、
そばにいようとしてくれる友達がいれば、
すごくゆっくりだけど
変わっていけるのかもしれない。
と、思った。

しかしそのことがその人の才能を
薄くさせないことを祈る!

posted by R (あーる) at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

blogを書くたのしみ

ジュリー&ジュリア [DVD] いつだってボナペティ!-料理家ジュリア・チャイルド自伝
先日、ジュリー&ジュリア [DVD]を見て、
すごくblogが書きたくなった!
blogを書き始めたときの気持ちを思い出したから。

この映画は、
何をやっても中途半端だったジュリーが、
昔、ジュリアという人が書いた
フランス料理本に載っている料理を
365日間の中で全部作って
blogでレポートするという話なんだけど、

何かに自分が夢中になって、
それを世界の誰が読んでくれているかわからないけど
一生懸命ブログを書いて発信する
ってところが、なんかすごくいいんですよね〜。
ああ!私もまた毎日blog書きたいな!って
強く思った。

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日記書くみたいに好き勝手なことを書いて、
世界に勝手に発信できるなんて、
ほんとに画期的で素敵で
わくわくすることだったんだよね!
信じられないくらいすごいことだと思っていて、
何かの冗談じゃないか
とすら当時は思ったのだった。

なのに、いまはtwitterやFaceBookや
他にもいろいろなツールが次々と登場して
そのときの気持ちなんて忘れてしまっていたよな。
感覚が麻痺してきてたというか。


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blogを始めたときは、
自分が素敵と思うものやことについて
書くのがすっごく楽しかった。
たとえ数十人の人しか読んでくれていなくても。

それから、おすすめの紅茶とか
アフィリエイトツールを使って貼付けたら、
すぐに誰かがそれらを買ってくれて、
その時も感動した。
知らない誰かと
何かを共有できたような気がして。

そんなことをこの映画をみて思い出した。

わたしも誰も読んでくれてなかったとしても
また好き勝手なことをここに書いていこう。
そんなことする自分が
なんだかかわいい気もする!ドコモポイント

ジュリー&ジュリア (イソラ文庫)
ジュリー パウエル
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ラベル:書く
posted by R (あーる) at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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