
人はほぼ1日中妄想している。
動物は妄想しない。
だから「今」だけに生きることができる。
人は妄想によって、ほぼ過去に生きている
といってもいいと思う。
私は、「今」を生きる動物の純粋性に
このところとても惹かれていて、
それがすごく魅力的に見えるので
犬が欲しいと思っていた。
できることならオオカミが欲しい。
でも、この間、晩御飯を食べていたときに
気づいたことがあった。
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彼とおしゃべりをしながらご飯を食べていたのに、
瞬間、私はある過去を思い出し、
それにリアルに浸っていたのだ。
ハッと気がつくと、目の前の彼も
私には見えない彼の中の過去に
今、この場で浸っているような顔をして
テーブルの一点を見つめ
もくもくとサラダを食べている。
そのとき、
これって、すごいことではないか?!💥
と初めて真剣に思ったのだった。

言うなれば、
テレビとかそういう装置があるわけでもないのに、
頭の中に、ある映像を超リアルに立ち上げ、
その中に入り込むことができるなんて!
ほんとうの私はここで夜ごはんを食べているというのに。
彼と私は同じ場所にいたのに、
頭の中では同じ場所にはいなかった。
これは、よくよく考えると
まるでSFのようではないだろうか。
もしかすると人間て、
とてつもなくハイパーな装置を備えている
ということなのでは?👤📱
私が動物で、もし感情を持っていて、
人間が、過去や未来(の想像)を
頭でいくらでも自由に
繰り広げることができることを知ったとしたら、
なんてうらやましい!
人間になりたい!!
と思うだろう。
このような素晴らしい装置が備わっている特権を
人間はもっと喜んでいいと思う。
そしてこのSF以上の装置を最高な形で使うことを
考えてみるべきなのではないだろうか。
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この装置のすばらしさを
人間は本気でよく考えたことがないから、
普段は、エゴに操られるまま
未来への心配や、過去の出来事に対する
後悔や恥ずかしさや怒りなどしか映していない。
いうなれば、せっかくのデバイスを
エゴによる自動運転モードにして
見たくないものばっかりを見てる。
このチャンネル権というか、コントロール権を
自分でしっかりと持つという自覚を持てば、
この装置はかなり近未来的に使えるものではないだろうか?
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この装置がうまく働いている状態というのを考えてみると、
自覚はなくても、
人間が、あるプロジェクトを立ち上げようとしているときだと思う。
今日は残り物でごはんを作るけど、
何かおいしいもの作れるかな、
とか、
この花はもっと元気に咲くような気がするけど、
どうしてあげたらいいのかな、
とか、
あるいは
ある境界線を越えようとしている
アスリートやアーティスト、
あるいは普通に仕事をしている人が、
「こんなことができたらわくわくしちゃうな」
という動機のもとに、
想像力を、どん!と立ち上げるとき。
もしも、その動機がほんとうに純粋なもので
この装置を使うなら、
それは単なる個人の想像を
超えたところまで広がって
何かありえない状況とつながるように思う。
(そのようにして芸術作品というものはできあがると思う)
その動機が
絶対的に純粋でないといけない理由は、
本当に「やってみたい」と
純粋に思うことでなければ、
この想像を
力強く積極的にすることができないからだ。

エゴによる想像の自動操縦により、
人間は、いろいろな思い込みを加速させられ、
それにより苦しんでいる。
想像と現実の区切りがなくなってしまっている。
この動物にはない「装置」により
人間は「今」を生きることが難しいわけだけれど、
逆にこれをうまく使えば、
今までSF映画などで見てきたどんなハイパーな装置よりも
すごいことができるに違いない。
ドキドキ✨
となると、
いままで純粋に見えて
うらやましかった動物たちが
突然、不器用な存在に見え、
かわいそうに思えてきたりする自分が
勝手でおかしいなと思う🐶
(これって、よく考えてみれば、思考を超えるとか、引き寄せの法則とか、そういうことと近いことなのだと思うが、
このイマジネーション(あるいは妄想)に浸る人間の状態の異様さに、はじめて本気でハッとした衝撃を書きたかったのだった)
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