2018年01月10日

私の中に住んでいる村上龍

このごろはなんでも忘れてしまう。

廊下が一番のもの忘れスポット。
部屋の中で何かをしていて、
あ、そうだ!
とキッチンに何かを取りにいくときに廊下を通ると、
なぜキッチンに来たのかがわからなくなってしまう。

そして、引き出しを開けながら、

どうして私、引き出しを開けてるの?!

私、引き出しを開けてどうするの?!

引き出しを開けて何を取りに来たの〜〜〜?!!!

と、頭の中で
ド級の大声で自問する。

すると、
ふ、と思い出すこともあれば、
もう一回部屋に戻らないと思い出せないこともある。

そう、それを思いついた位置に戻ると
記憶はなぜかきちんとそこに残っているのだ。


年をとると、不思議なことに
脳内で線をつなぐ処理が遅くなると思う。

シャープな動きをしてくれなくなるっていうか。


::::::::::::

イビサ (講談社文庫)

村上龍という作家が、
昔、すごくエッヂーな作品をたくさん書いていて、
大好きだった。

たくさんの影響を与えてもらって、
勝手に第2の父親と感じていたくらい。



言葉にならないけどずっともやもやと感じていたことが、
本のテーマになっていたりして、
「そうそう!そうなの!」と共感した。

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) 愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)


「愛と幻想のファシズム」のテーマは、
「曖昧さを憎む」ということではなかったかと思う(私の中では)。


ある状況の中で、
なんか変だなとか、なんか嫌だな、と思う時は、
大抵そのベースに、誰かの曖昧さがあった。


それをはっきり意識していなかった時は、
その曖昧さを感じないふりをして
物事を進めていたが、
結局、最後には許せなくてダメになった。

でも、あの本を読んで、
ああ、私は曖昧さが大嫌いなのか、
と理解したとき、すごくスッキリした。

自分に不必要なものがわかって。

教えてくれた村上龍氏に大感謝だった。

それはわたしの血となり肉となり、
きっと今でも
私の中のどこかには、
村上龍が住んでいると思う。


::::::::::::



村上龍氏があまり小説を書かなくなったので、
チェックをしなくなったが、
ある日、新作を見つけたので、
大喜びで読もうとしたら、
残念ながら読めなかった。

冗談かな?
と思うほど大雑把で、
本気でこれ書いているのかな?
と、思った。

もし、本気だとしたら、
脳内シナプスの衰えなのだろうと思った。

だけど、あんなに力強い作品を書いていた
すばらしい作家が、
まだじゅうぶんに若いのに、
こんなふうに衰えるなんて残念でたまらない。


ま、そんなことは村上龍氏の勝手なわけだけど、
こちらもこちらで
読者として勝手に、また怪力な新作を期待をしている、
というわけ。

だって心の中で第2の父親なのだから(勝手に)。





posted by R at 04:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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