アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ (字幕版)
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(2013-11-26)
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大竹しのぶさんの自伝で、
ギリシャには昔たくさんの医師たちが集まっていて、
そして円形劇場で芝居が上演されていたのは、
患者たちのセラピーの一環だったと
書いてあるのを読んだことがある。
俳優たちが表現する
怒りや憎しみや狂気が
患者たちを癒すようだ。
私も、何か癒されなくてはいけないことがあるようで、
気が狂いそうな激しい残虐サスペンス映画が好きでよく見る。
それから、狂気を感じるような速さのレースの映画も大好き。
今晩は、アイルトン・セナの伝記映画を見ていた。
息ができないくらいの速さ。
アイルトン・セナは、
「普通の人間の感覚は最初のトンネルのところで失い、別の次元の感覚に支配される」
というようなことを言っていた。
そのような感覚に自然とならない限り、
あんなところで走ったりはできないのだろうと思う。
そんな超人的な感覚の走り、
しかも車の中についているカメラからのアングルでみるレースは
息ができないほどの、ほんとうにこの世のものとは思えないテンションだった。
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アイルトン・セナは、事故で亡くなる日の朝、
彼が神の声を聞こうとして聖書を開いたら
「きょうはあなたに驚くべきすばらしい贈り物を捧げよう。それは神自身である」
というような内容を読んだそうだ(彼のお姉さん談)。
これはふつうの人間的な観点で捉えれば、
優勝か? などともとれるかもしれない。
彼がそれをどうとったかのかはわからないけれど、
彼の死は正しかったのだと
この映画を見るひとは思うんじゃないかと思う。
わたしもそう思った。
彼はF1レーサーとして、いろいろな人に影響をたくさん与え、
華麗にミッションをこなし、
神がOKを出したときに、家に戻ったような
そんな感じがした。
アイルトン・セナは自分を神に捧げていたと思う。
そして神は彼を使ったように感じた(この世にあらゆる影響を一気に与えるために)。
