2019年04月04日

100年前からの伝言の絵〜ヒルマ・アフ・クリント



Heaps magazineを読んでいたら、
Hilma af Klint ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)という
スウェーデンの画家のことを知った。

おっ!すてきな絵だな〜と思ってチェックしてみたのだけど、

なんという衝撃!

100年も前に描かれたものだなんて。
(抽象画というものが存在する前だった)


PAINTING HILMA AF KLINT 1907 ALTARPIECE NO 1 GROUP ART PRINT ペイントグループアートプリント

本人はみんながこの作品を理解できないことを知っていて、
自分が死んでから20年は世に出さないで、
と遺書に書き残していたらしい。

彼女は、自分が生きている間
完全に、
日に当たらないもの、
人の目に触れないものを延々と描いていたわけである。

しかも何百という作品数、
その大きさ(3メートルもあるらしい)からして、
すごい情熱があったに違いない。


Hilma Af Klint: Notes and Methods


そこまでできるというのは、確かに、
はっきりと何かを見ていたのだろう。
確信があったのだろうと思う。

(スピリチュアルなことに傾倒して、
仲間と降霊をして
得たインスピレーションを絵にしていたらしい。
そしてそのように絵を描くことは任務だと感じていたらしい。)



これをしなくてはいけない意味と意義を
知っていたということだけど。


そして、自分の死後数十年先の未来に
焦点を合わせて作品を作っていたのだ。



Hilma af Klint: A Pioneer of Abstraction





::::::::::::::::::::::


その後、ピュ〜ぴるさんの映画を見た。

ピュ~ぴる DVD-BOX


現代時術作家のピュ〜ぴるさんのことは、
吉永マサユキさんが撮っていらっしゃった写真で知っていた。

吉永マサユキさんは、昔、ピュ〜ぴるさんのお部屋がおもしろいと聞き写真を撮りに行った時、ピュ〜ぴるさんが見せてくれた雑誌を見て、彼(彼女)の雑誌での扱われ方(あるいは売り方)が間違っているんじゃないか、と、
ピュ〜ぴるさんはアーティストなんだということをピュ〜ぴるさんご自身にも(あらためて再認識?)、そして雑誌にも理解させたみたい。
なんて男気のあるすてきなお方なんだろう!

吉永マサユキさんほど信頼できる著名人は他に誰もいないと思う。
吉永さんの作品集は手に入れたほうがいいです。

一家に一冊必須!!
   ↓
族―吉永マサユキ写真集
吉永 マサユキ
リトルモア
売り上げランキング: 81,552




吉永マサユキさんも映画の中でおっしゃっていたけれど、
得体のしれない不思議なものを次々と、黙々と
作り出さずにいられないピュ〜ぴるさんの創作性、
これは一体なんなんだろう、と。

pyuupiru.jpg

そして、ヒルマ・アフ・クリントのことを思い出した。

きっと世の中には
そのときに生み出されなくてはいけないものがあって、
それをぴったりの人がダウンロードさせられ
作らなくてはいけないのだ。
これは任務なのだと思う。

ヒルマ・アフ・クリント氏も任務だと思っていたようだし、
ピュ〜ぴる氏も任務だとおっしゃっていた。

(もちろん、ピュ〜ぴる氏の作品はちゃんと世に出されているが、
本来ならばもっともっと巨大に驚かれるのが普通なのではないかと思う。
現在の人間には氏の作品を受け止め切ることができていないように感じる。)





この任務は辛いだろうか。
楽しいだろうか。

きっと幸せだったにちがいないと思う。


どちらにしても、
このような任務にあたったひとが生み出したものは
のちに莫大なる影響を多方面に与えることはまちがいない。

こういうことをしていること自体が
「愛」だと思うから。


:::::::::::::::::

スウェーデン人の友人に
「Hilma af Klintって知ってる?」と聞いてみたら、
なんと!ちょっと前までとても好きだった
Acneというブランドのデザインも、
このHilma af Klint(ヒルマ・アフ・クリント)に
影響を受けていていたと教えてくれた。
なるほど!だから私はACNEのデザインの奥に
心やすらぐ何かを感じていたのかも。






:::::::::::::::::
買おうと思っているものいろいろ。
Hilma af Klint: Paintings for the Future

Guggenheim Museum Pubns
売り上げランキング: 207



ポスターが買えるなんて幸せ❇︎



ノート資料もおびただしい量があるらしい。
Hilma Af Klint: Notes and Methods
Hilma Af Klint
Univ of Chicago Pr
売り上げランキング: 9,063





posted by R (あーる) at 04:55| Comment(0) | キラキラしたもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

スピード狂 フランク・ウィリアムズ氏に学ぶ「あきらめる」の新しい意味

FORMULA 1 file vol.3 (autosport 別冊)


F1(formula1)ドライバーを見ていて、感じたことがあった。

それは、まず、とくに25歳以下くらいのドライバーは、死ぬことを恐れていないということ。
それよりもスピードと一体化すること、一位になることにすべてを捧げるということが重要だということ。

普通の感覚で言えばかなり異常なことである。

だけど、彼らの体には、スピードに反応しスピードと溶け合いたい欲望が、普通ではないふうに組み込まれているのだと思う。

見ていると、彼らの(体内、または思考)システムとしては、
今起きていることだけを見る、
ようになっていると感じる。

今だけを見なければいけない状況が設定されているし、
今だけを見なければ死んでしまうからだ。

この、よく言われる「今を生きる」ってどういうことかと言えば、

過去に一切の意味を持たせない、
今とつなげない、

ということなんだなと思う。


::::::::::::::::::::::



それを一番強く感じたのは、F1の歴史的名門チーム「ウィリアムズ」の創設者フランク・ウィリアムズ氏のドキュメンタリーを見た時。




2013年に亡くなった奥様バージニア・ウィリアムズ氏の著書『A Different Kind of Life』が、このドキュメンタリーにおいてベースの役割をしている。

現在「ウィリアムズ」のチームで副代表をしている娘のクレア氏は、お父さんのフランク・ウィリアムズ氏にこれを読んで母の気持ちを知って欲しいらしいが、フランク氏は「たぶん、死ぬ間際になったらよむかも?」とか言ってる。


A Different Kind of Life [並行輸入品]

奥様がなぜこれを書いたかといえば、フランク氏が事故にあってから、彼と意思疎通できていないように感じることもあったり、自分のためてきた思いや、そして彼をどう支えてきたかを彼に知ってほしいからだったようだ。

奥様は友人のライターに、本をまとめてもらうためにロングインタビューを受けたようで、そのため、ご本人の肉声が残っている。何かを一生懸命に訴えたい感じが伝わってくる。





フランク氏が熱狂的にレースに没頭するため、尋常ではない状態が常にある中で、バージニア氏は一生懸命彼をサポートしてきて、それがちゃんと彼に伝わっていないと感じたりしたこともあったのかもしれない。それは彼ら二人にしかわからないし、彼ら二人にもそれぞれの見方があってバラバラかもしれないし、とにかくそこらへんのことはよくわからないが、

私が、不思議に感じたのは、フランク氏の感覚についてだ。


奥様が、フランク氏が起こした事故(といっても、死にたいくらいのハイスピードを出しての自らの事故。いつかこれをやらないと気がすまなかった、死ななくて不幸中の幸いという感じの事故)で体を動かせなくなった彼を心底気の毒に思い、あんなにあなたは走るのが大好きだったのに、と、彼のことで心を痛めているが、それを彼に伝えても、ああ、本当に走れたらいいよね、くらいな感じで、彼女には彼が何を考えているかわからない、という感じ。

(それまでの彼は、気が狂うほどの勢いで毎日20キロくらい走っていたそうだ。それはもはや普通のひとのランニングとかの域を超えたような走りだったそう。走らないといられない、というような。)




また、異常にイケメンの若い介護士(フランク氏はパッケージにこだわりがある人だと思う)が、
"フランク氏に何度かこっそり「自力で走りたくないですか?」と聞いたことがあります。フランク氏は、それはあきらめたと言ってました。彼は状況を完全に受け入れたのです。そんなふうに過ぎたことを悔やまぬ姿勢は習いたい"

というようなことを言っていたが、


この「あきらめた」というのは、
普通の人の感覚とはまったく違うのではないかと思った。

普通の人の「あきらめた」は、
今だってこうしたいし、あのときああしなければ今はこうなっていないのに、でも、しょうがない、今を大事にしていくしかない、なんとか前向きに。でも、そのときの後悔はいまだずーっと心に残っている、
という感じだと思うが、

フランク氏の「あきらめた」は、
一切そのことについて考えない、
もしかしたら、何が起きたかということさえも考えない、
徹底的に今とつなげない、
意味を持たせない、
ただ、今がこのような状態である、
だたそれだけ。

では、この状態で挑戦できることは何か?
という感じに見える。


奥様も「あの人は栄光をつかんだ過去よりも、今の逆境を楽しんでる。変な言い方だけど彼にはチャレンジが必要。それが生きがいなのよ」と言っていたが、本当にそのとおりのように感じる。

でも、普通の人間にとって、
このような思考の人がいることは、
まったくもってありえない、
というか、信じられないことなのだと思う。

たとえ、バージニア氏のように、フランク氏を愛してずーっとそばにいて、上記のような発言を自らした人にとってさえも。
彼の感覚は、おそらく人間の枠を大きく超えたものなのだろう。

そして、不思議なことに、
フランク氏を、自分と同じ感覚をもつ普通の人間だととらえて考えると、周りのひとは勝手に自分自身を不幸にさせる(感じる)ことができるのだと思う。そして、混乱するのだと思う。


フランク氏は、
「F1チームを経営して、マシンと有名なレーサーを握っている私が羨ましくないか?」とニヤリと笑う。
「恵まれた人生だよ」と言っていた。


彼は本当にそう思っていると思う。体を自由に動かせなくなった彼を可哀想と思うのは勝手だが、彼はきっと自分のことをそう思っていないと思う。もどかしいことはもちろん多々あるだろうけれど、そこでチャレンジできることに毎日向かって燃えているのだと思う。



友人は、事故した彼にクラシック音楽(バッハ)を聞かせるようになったらしいが、マシンのド級にうるさいエンジン音を聞いているときこそ、フランク氏はまさに世紀に残る名曲を聴いているようなお顔をしていらっしゃるのであった!


フジミ模型 1/20 グランプリシリーズ No.24 ウィリアムズ FW16ルノー (サンマリノGP/ブラジルGP/パシフィックGP) プラモデル GP24



このドキュメンタリーを見てから、
過去と今をつなげることを止めることがしやすくなった。

たとえその日にやろうと決めていたことが
アクシデントが重なりできなくなっても、
「こうこうこうするはずだったのに云々」
を一切排除する!

そして、今からだけがすべてだと思う。

自分の性質上、こういうのは簡単だ。
そんなことをしていいのか?と思うこともあったけど、
ナシにしていいのだ!と深く確信できるようになった。


このドキュメンタリーは、
過去と今をつなげて物語を作っても、それだけが真実ではなく、ほんとうに誰かにとっての物語にしか過ぎないということ、そして「今」だけが単純に「ある」と理解すればいいこと、をリアルに教えてくれている。

言葉というのは、物語を語るためだけにあるのだと思う。ゆえに言葉でつなぐものはすべてある意味では嘘のようなものなのだと思う。言葉は、たくさんの可能性の中でのたったひとつを選んで物語にするということだ。でも、それは完全には真実ではない。

タロットがよくこういうことを言っているけど、
誰かの人生で見せてもらえるととてもわかりやすいと思った。





:::::::::::::::::::
ウイリアムズ氏と奥さんのバージニア氏は、お互い一目惚れだったようだ。

奥さんはちょうど自分と同じくらいのお金持ちの男性と結婚するところで、結婚をやめることができずに結婚したけれど、それでもやはり家を出てフランクと一緒になりたいくらい彼に恋をした。

そしてフランク氏も、毎晩彼女がいるから家に帰っていたのだそうだ。彼女がいなければ工場の廊下に寝ると言っていた。


車とレースと同じくらい彼女のことを気に入っていたのだと思う。
こんなにレースのことしか考えていない人が、家に帰るくらい家に気にいった人がいるというのは、それはとても彼女のことを愛していた、といってもいいのではないだろうか。




F1 語辞典: F1にまつわる言葉を イラストと豆知識でパワフルに読み解く
小倉 茂徳
誠文堂新光社
売り上げランキング: 56,168




posted by R (あーる) at 07:09| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

Mr. Bigの良さがいまさらわかった〜SATC


スクリーンショット 2019-02-14 1.23.41.png


なぜかこの頃、なにかと昔のドラマ『Sex and the City』についての話を耳にしたり、いろんなところで目に入ったりしてて気になっていた。

それでこれはもしや「シンクロニシティ」ってやつなんじゃないかと思い、最近 amazon primeに追加されてたSATCを見た!


Sex and the City エッセンシャルコレクションBOX セカンド・エディション [DVD]



これを見たのは何年ぶりなんだろう?

おもしろくておもいきり堪能した記憶があって、2回も見ても、もうおもしろくなんかないんじゃないかと思ったのに、前に見た以上に興味深く感じた。

昔は、単なるストーリーとしてしか見ていなかった。

今、もっと楽しめるのは、自分が大人になり、登場人物の感情の機微がわかるようになったり、シチュエーションの不条理感、でもどうにもならない現実、を、時代が変わったこともあり、もっと全体から大きく俯瞰で見ることができるようになったからだと思う。


スクリーンショット 2019-02-14 1.38.59.png

そして、Mr.Big!
昔はMr.Bigがなんでかっこいいことになっているのか私にはさっぱりわからなかった。
このストーリーの中で、彼はとても格好良いことになっているので、仕方がないから私の中でも「かっこいい存在」ということにしていただけだった。

なのに、今見ると、
わたしにもMr.Bigの良さがわかる。

不思議だ〜!なんて不思議なんだろうか!



sex and the city -KISS AND TELL 完全版



NYでは純粋な愛なんて一つもなくて、
20代では好き勝手に男を手玉にとっていた女たちも
30も超えると男からは相手にされなくなり、

それと反比例するかのように
男たちは30代になると金銭的にも力を増して
女を手玉にとるようになる。
彼らは小うるさい30代以降の女なんて
本気で相手にしようとは思っていなくて、
だから30代以降の女たちはどんなにイイ女でもみんな独り身。

そんなサバイバルゲームばかりが
横行しているガサガサの場所で、
主人公キャリーは、昔の男と寝るわけだけど、
自分が満足したら相手を置き去り、という、
まさに男のようなセックスをしてやった!
という勝利感(?)のようなもので
満ち満ちていたとき、
ミスターBigに、
ほんとの恋愛を知らないんだね、
なんて言われる。

車から降りたキャリーは
(→タクシーをつかまえようとしていたら、Mr.Bigが運転手付きの車で拾って送ってくれた。よく知っている間柄でもなく、キャリーが何の仕事をしているかすらも知らないけど、彼女をおもしろいと思っているみたい)、
ちょっと待って、
と車の窓を叩いて
ミスターBigに「本当の恋愛なんてしたことあるの?」
って聞いたら、
彼は、
「Abso- fuckin’-lutely.」
というわけ!

スクリーンショット 2019-02-14 2.00.04.png

きゃ〜〜〜〜〜!かっこいい!!(≧▽≦)!

言うなれば、ミスターBigは
このNYにおいて、(ステイタスなどもあって非常に分かりづらいが)唯一の純粋的存在だったんだ!
(まだ1話しか見直してないからこの先ちがうのかもしれないけど)
と思った。


ミスターBigが純愛の存在を信じていることに
ガツーン!とノックアウトされたキャリーは、
ほんとうに愕然として、
彼女の中で何かが崩壊したかのように不安げに見える。

そして、あのストップモーション!


そうそう、イントロのところでもあるけど
ストップモーションが、印象的だった。


あの瞬間に
きっとキャリーは
もうミスターBigに恋をしたんだな。



スクリーンショット 2019-02-14 1.56.55.png


:::::::::::::

あと、キャリーの友達シャーロットが
地位もあるいい男とデートしたときのエピソードも
すごく変なふうに頭に残る。

彼女は欲望も抑えてほんとうに完璧に振舞って、
だからこそ次のデートも誘われて、
なのに!
なのに、男は、
シャーロットが帰るためのタクシーに便乗してこれからクラブに行くという。
なぜなら、どうしてもセックスしたいからだって。

それは、本当に、ただしたいことを処理するためだけ、っていう感じだけど、そんなことありありと目の前で言われたらどうなんだろう?

女は、じゃ、さっき私が我慢した意味は?!って思うだろう。
だけど、同時に、この男はきっと一生この調子なんだろう、とも思うだろう。

裏を返せば、誰だって欲望どおりに生きれば、じつはこの男のようなのかもしれない。

この男は、お金も権力も持っていて、
「欲望を隠していないとダメなのかな?」
って聞いたら、きっとみんなは、
「いいや、ダメじゃないよ」とか「全然おっけーよ」
とか言ってくれるからこのように欲望が丸出しだけど。

みんなも裏を返せばこんな感じなんじゃないかな、ただ慎ましく生きているというだけで。
という感じもする。


そう考えると、本当にこの世で生きるということは、三次元的に考えると、どこにも安全なんてないし、安定なんてないように思える。

その中を生きている様を見せてくれているのがこのドラマだったんだ。

だから、この最終回は、よく言われているけど、
キャリーの結婚でなんか締めくくってはいけなくて、
彼女たちが死ぬまで延々と続く物語でなくてはならない、

と、勝手に思う。






posted by R (あーる) at 02:08| Comment(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月21日

ブラウス・ワンピース製図講座に。

Practical Pattern Making: A Step-by-Step Guide


喉元すぎれば熱さ忘れる、
かのように、

激やせするほどパンツ基礎講座が大変で
ヒーヒー言っていたことも忘れ、
今度は、ブラウス・ワンピースの製図コースへ。





初日、行ってみたら、クラスの3分の2は、
前回のパンツコースで一緒だった方々だった。

お話したことも(みんなそんなヒマなどなくて)
ほとんどなかったけど、
お顔を知っているというだけで
なんと安心な気持ちになるのだろうか!

みんなは製作の方の授業も同日に受けるとのこと。
すごいな〜!と思う。
私なんて、製図だけで頭がパンクしてしまう😵


今回も、3時間ぶっ続けで
ブラウスの製図の仕方を教わり、
燃え尽きた🔥

(教えてくれる先生も((今度は女性の先生だった))
休みなしでずーっと指導してくださって
我々以上にお疲れになったのではないかと思う。 )




IMG_2836.jpeg


いつも学校に来るたびに思うのは、
毎日通う昼間の学生と、講座で通うわたしとでは、
徹底的に習う量も作る量もちがうだろうということ。

(このような濃密な授業を
1日中毎日受ける気力があるかといえばないかもしれないが)




私はいつか自由自在にパターンを書くことができる日が来るのだろうか??




できないからどうにかできるようになりたい!
という、
その、何かに引っ張られるように
暗闇の中を進んでいくような感じが楽しい。









ラベル:洋服作り 服作り
posted by R (あーる) at 06:45| Comment(0) | クリエイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

パンツ基礎講座終了!



とうとう、今日でパンツ基礎講座が終了した。

毎週毎週、一つ一つの行程を
文化の先生が丁寧に師範してくださって、
それを汚い字でメモし、解読(自分の字を)し、
頭から湯気を上げながら、
何回も失敗しながら解きながらやり直して、
やっと初めてのパンツを作ることができた。
(ベテランの人が見たらプッと笑うような出来だけど)

採寸、そしてシーチングでの仮縫いまでも
初心者のわたしにとっては大変だったけど、
そこから本当の布地で作っていくときの大変さ
(しつこいようだけど初心者だから!)のほうが
もっともっと大変だった!

Balenciagaふうにチェックのパンツがいいな〜
などと、
初心者ならではの身の程知らずなことを考え、
柄合わせが大変なチェック柄を買ってしまったわたしはバカだった。

スクリーンショット 2018-10-07 2.04.14.png
(Balenciagaのインスタグラムより)

しかも地直しもきちんとできないので、
柄がグネグネで
それに合わせて2つ同じく切るだけでも
2日徹夜してしまったほど。

あまりにおかしな格好で長時間集中してやっていたので
しまいには腕が1ミリ動かしただけで激痛!
大変なことになったのだった。


::::::::::

布人倶楽部 綿100% 先染めタータンチェック グリーン系 108cm幅 カットクロス (50cm)
(これは、まさに私が購買で買ったのと全くおなじ布地!)

そこからはもう、元のパターンから離れ、
チェックだけをおいかけて行く羽目になった。

だけど、仮縫いをしたときに
サイズをかなり大きめに変更していたから助かった。
(かなりタイトな腰回りだったので、
冬になったら履けなくなるだろうと思い、
夏休みの間、どうしたらいいのだろう?と悩んだ。
いろいろと調べたけどよくわからないままパターンをいじるのがこわくて、服飾縫製のプロでなおかつ星読みの達人のHANA T.さんに何度も質問して教えていただいたり((HANA T.さん、ありがとうございます!!))七転八倒していた。そして最終的には、先生に線を引き直していただいたのだった。)



::::::::::

改訂版・服飾造形講座〈2〉 スカート・パンツ (文化ファッション大系)


ワイドパンツ、ベルボトム、スリム、フレア、ストレート、
と、製図で教えてもらったうちの
どれを作っても良かったのだけど、
わたしはワイドパンツそのものではなく、
ストレートパンツなのにワイドパンツのようなものが作りたいと思った。

昔に作られただろう教科書のパターンならば、
きっとストレートパンツを基本に、太くしたほうが
今の自分の気分に合う形になるのではないかと
思ったから。



作っている間、ずっと考えていたことは、
もしこれが「今」履けないような古臭い形に出来上がってしまったら
とってもがっかりしてしまうだろう、
とてもがっかりしてハートの一部が塞がってしまうかもしれない、
そうならなければいいな、
そうなりませんように!
ということ。

でも、私たちを教えてくださっていた先生は、
若い男性の方だったので、
そうならないように私たちのパターンを導いてくださったのだと思う。

出来上がった形は、
こんなふうにできたらいいなとイメージしていた形にとても近くて、
細部は人に見せられないくらいぐしゃぐしゃだけど、
とても満足している(これこそ自己満足)。
その満足とは、普段に使いたいものができあがったということ🌟




::::::::::::

工夫されたポケットの縫い方 (合理的なテクニックを写真で学ぶ)
佐藤 貴美枝
文化出版局
売り上げランキング: 64,130


せっかくなので、
後ろのポケットと、
それから、ベルト通しも、
教科書を見てつけてみた。

後ろのポケットは、前に実験してたのでそんなに難しくなかった。
横のポケットやジッパーのほうが大変だと感じた。
(先生の師範をビデオで撮らせてもらって、
30秒ごとに再生していって、そのとおり作ったらできた。
まるで魔法のようだと思った。)


先生に「(後ろポケット製作は)初めてですか?」
と聞かれ「はい」
とうそをついた。
2回目だったらもっとうまく作れるはずだと思い、
恥ずかしかったから。


そして、今までは作業が大変すぎて
質問する機会もなかったが、
今日は最後の日だったので、授業の終わりに少し時間があり、
「先生、これからどうすればいいんでしょうか?!」
などとバカみたいなことを聞いてしまった。

「最終的にどうなりたいかによりますね」
「今は夢のような話ですが、自分で自分の服を好きなように作れるようになりたいです」
「すべてのパターンを作ってみたらいいですよ」
と先生はアドバイスをくださった。

スカート、パンツ、ブラウス、ワンピースなど、
あらゆるものをがんばって作ってみたらいいそうだ。
そして、今回作ったストレートパンツも、
1回だけじゃなく何回も何回も作ってみたらいいとアドバイスをいただいた。

そうだ、そうしよう!

このまま続行で後期の講座を受ける気力はないが、
来年の春にはまた学校で教えてもらうかもしれない。

その時まで、自分でたくさん作ってみよう。

だけど、このパンツ講座だって、
教科書には書いていない大事なことを
たくさん教えてもらったわけだし、
独学でやっていると
大事な何かを知らないまま作ることになるのかもしれない。
だけど、それは先生がおっしゃるように、
何回も何回も作ることで解消される
(強く疑問が浮かび上がって答えをどこかで見つけることができるのかも)のかも。


「すっごい時間はかかりますよ、昼間の生徒だって昼間ずっと授業受けてそれでも3年かかるんですから」
と、先生はおっしゃっていて、
ほんとうにそうだろうと思った。

昼間にずっとこのようなハードな授業を3年も受けたら
すごい技術が身につくだろうな。

でも、そんなことは18歳くらいのバイタリティがなければ
きっとできない。

中年がそんな勢いでやったら死んでしまうだろう。

だからゆっくりでいいけど、
地道に投げ出さず、
もう足腰弱って洋服買いになんて行けない!っていう頃に
ちゃんと好きな服が作れるようになれていたらいい、
というのを目標にしよう。




IMG_2540.JPG
(これが学校で作ったパンツ)


やはり、本などで売られているパターンは、
作ると、何か自分とはちがうと感じる。
学校で作ったものは、
めちゃくちゃな縫い目だったとしても
自分の気持ちにフィットしたパンツと感じられたことが最大の喜び。

そういう気持ちになれるようなお洋服を
自由自在に作れるようになりたい。


:::::::::::::::::::

:余談:
スクリーンショット 2018-10-07 2.03.39.png
(Balenciagaのインスタグラムより)

購買で、木綿のチェックを買った時、
レジの横に、まさにこのBalenciagaそっくりな
黄色いチェックの布地が売られていて
は〜🌟と目を奪われた。

それに気づいた店員さんが
それは肉厚のwoolですね
と教えてくれて、
私にはそのような高級品はまだまだ早いと思って諦めたが
こんなに何回も縫っては解きを繰り返す羽目になるなら、
安い布地を選んでやはりよかった(-。-;。



posted by R (あーる) at 03:56| Comment(0) | クリエイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

佐村河内守氏のファンタジーの強度

Netflixに、森達也監督(ファンです)の
『Fake』というドキュメンタリーが入っていたので見た。

FAKE ディレクターズ・カット版 [DVD]
Happinet (2017-03-02)
売り上げランキング: 16,183


佐村河内守氏という方を追った作品なのだけど、
彼は、作曲家としてものすごく売れていたみたい。

でも、じつはゴーストライターが彼の曲を作っていたとして
徹底的にメディアに叩かれ消されてしまった、
という事件があったらしいが、
わたしの家にはTVがないので、
そんなことが起こっていたことは全く知らなかった。




::::::::::::::


Fakeでは、彼が本当に創作をしていないのか?
というようなところに焦点が当てられた作品のような気もするが、
そうではないかもしれない。
何を焦点として作ってあるのかは
わたしにはよくわからなかった。

森監督はただ佐村河内氏がどういう人物か、
をそのまま撮るということがしたかったのかも。


『Fake』の中で、外国人の記者がインタビューにきて、

新垣は彼自身が創作したという証拠がたくさん持っている、
でも、あなたは?何かひとつでも確かにあなたが創作したという証拠を見せてくれないか?
たとえばピアノを弾いてみてくれないか?
などと、言う。

外国人記者は、
佐村河内氏を疑っているわけではなく、
確かな証拠を欲しがっていて、
それで佐村河内氏を擁護してあげたいようにさえ見えた。

しかし、彼らがした質問というのは、
森監督のようなするどい人でさえ
彼にはしなかった質問であり、
彼を疑問視している日本人でさえなぜかしない質問であり
(疑っている人は批判しかしないように見えた。証拠を見たいとも思っていないよう)、
非常に率直なのだった。

しかし、佐村河内は、シンセサイザーは家にないと言うし、
ピアノもずっと創作から離れていたからろくに弾けない、
などと明らかに怪しげにしか聞こえないようなことを言う。



その後(この編集によると)、森監督は
佐村河内氏に苛立ち始めたように見えた。

それで、自分ひとりだけで曲を作りませんか?
と、佐村河内氏に強く提案するのだけど、
佐村河内氏はあまり乗り気ではないように見えた。
(結局したけど)

そんな彼に、わたしはとても共感ができた。
佐村河内氏にとって、ひとりで作品を作ることは、
どうでもいいことなんじゃないかと思ったからだ。

彼がしたいことは、夢を大きく描くことであり、
自分の身を証明するとかいうつまらない低次元のことには
興味が持てない、というよりナンセンスな事柄、
と感じているのではないかな、、。

それで(それ以外のことには興味が持てなくて。
たとえ自分の身を守ることであっても)
あんなにも不利に見えるような言動をしてしまうんじゃないだろうか。



:::::::::::::::::



この作品を見てから、YouTubeでの記者会見や、
NHKスペシャルで彼が特集されたやつ、




そして、記者会見で意味不明な質問をしていた
ライターの神山典士氏の本、
ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌
神山 典士
文藝春秋
売り上げランキング: 243,675


彼のゴーストライターをしていたという
新垣氏の本などを読んでみた。
音楽という<真実>
音楽という<真実>
posted with amazlet at 18.09.22
新垣 隆
小学館
売り上げランキング: 383,305



私には、この騒動において
何が問題とされているのか、
なにが「罪」であるのかがよくわからなかったからだ。

誰が被害にあったというのか??

全聾ということを利用して、
というのがよくないのだろうか?

本当に全聾かもしれないし、
もしかしたらそうじゃなくて、
少しは聞こえているのかもしれない。

それは『Fake』でも描かれているが、
周りの人にはわからないことだろう。
口を読む以外に、勘が良くて察知できる可能性もあるし。



::::::::::

佐村河内守:魂の旋律~HIROSHIMA×レクイエム [DVD]


佐村河内氏の年表を見ると、
何者でもないところから、
突然大きな仕事を得ているので、
たしかに「耳が全く聞こえない作曲家なんです」
ということを利用していったのかもしれない。

でも、それがなにか?

彼に人を惹きつける異常な魅力があったことと、
そして、
それほど大きなことをやるという自信があったからこそ
人は彼に仕事をまかせていったのでは?


そんなにそれがいけないというなら、
耳がきこえないからかわいそうということだけで
人は協力していったということ?

もしそうだとしたら、そっちのほうがおかしいのでは?




彼のCDを買った人が騙されたというのなら、
じゃあ、彼が全聾の作曲家ということが魅力で
その曲を聞きたかったというだけなのだろうか?
だとしたらそれこそ差別では?
曲がよかったからなのではなく? 

それより以前に、
たかが数千円のCD買った人にそんなに被害なんてないだろう。

もちろん、レコード会社とか、
コンサートツアーをする会社は
途中でダメになってしまったから
大打撃があっただろう(それで佐村河内氏は訴えられているみたい)。

でもそれもこれも、
ライターの神山氏がペテンにしか見えないように
この問題を立ち上げたからなのでは?



:::::::::::::::::


このゴーストライター事件を明るみに出した
(新垣氏の会見を設定した)神山氏は、
佐村河内氏が障害者の子供達を利用しているという。

(だけど、その神山氏が佐村河内を知ったきっかけは、
神山氏が義手でバイオリンを弾く女の子のことを本に書いていたときなのだそうだ。
それについてはどうなのか?)

少なくとも、佐村河内氏は知り合った子供達に
あらゆるチャンスを自前で与え、
なんども家に泊まりに呼んだり、一緒に遊んだり、
悩みを聞いてあげたり、
彼らの演奏会があれば体調が悪くても
応援に行ったりしている。

こんなことを神山氏にはできるだろうか?
わたしだったら、そんなめんどくさいこと
どんな気に入った子供に対してでも、
もしかしたら友人に対してでさえできない。

子供達が喜ぶことをさせ、それを応援して、
それで自分においても何か興味のあること、
夢を大きく描くような楽しいことができるなら
一石二鳥ということも無意識にあったかもしれないが、
それのなにが悪いのだろうか?

まったくの無条件で子供達に興味を持ち、
奉仕する大人、
そのほうが不気味なのでは?
また、そんな大人はじつはどこかで必ず何か条件をつけて
見返りを求めるだろう。



神山氏の本を読むと
佐村河内氏が、愛情の見返りを
子供に求めているようにも見なくもないが、
それは見返りというよりは、
彼はただ本気で深く愛していた、
通常の人間には考えられないほどに
一人一人の子供を大切に愛しすぎていた、
(彼のファンタジーの中で)
という感じがした。




(なぜか神山氏の本に)書かれていることによると、
佐村河内氏は、そのバイオリン弾きの女の子と
師弟関係を結んでいたそうだ
(実印まで押して。これも彼のファンタジー?)。

彼女は、曲を書いてもらったり、
サントリーホールでのコンサートを
セットアップしてもらったり、
とにかくとても手厚く支援されていた様子。
あしながおじさん級のバックアップといえる。

しかし、その子が中学生になり、
好奇心が他のことにも向きはじめて、
バイオリンがおそろかになっていったことを心配して、
佐村河内氏が、バイオリンをやっていくのか、
それとも、真剣にやるのをやめるのか、
だらだらしてないではっきり決めなさい、
という内容をメールをしたことが神山氏の本に書かれている。

記者会見で、神山氏は
そのことをぐちぐちと攻め立てているが、
冷静に見ると、神山氏の言っていることはすごく変だ。



佐村河内氏は「きみの人生なんだから自分できめなさい」
と言った(と本には書かかれている。しかも彼を敵視している神山氏の本に)。

ただ、真剣にしないのであれば、
彼女のバイオリン人生に関してサポートはしないということだ。
それは当たり前なのでは?


佐村河内氏は、誰よりも、もしかしたら彼女の両親よりも
本質的に、長期的に彼女の人生を見て、
そして彼女と同列の視点で彼女のことを理解していて、
言っているように思える。

そのうえで、
クラシックの世界でプロになるならば、
そんな中途半端な練習ではダメだということ、
でも、一生懸命9年間、練習してプロになったら、
そのときには障害への同情ではなく、本当の音楽家として評価される、
と、佐村河内氏は言っていた。

これは、ゴーストライターをやっていた新垣氏も、
佐村河内氏の言っていることは正しいと言っていた。
クラシックの世界では、プロになるにはそのような厳しい覚悟が必要なことを。


わたしは小学生だったときの自分の気持ちを昨日のことのように思い出せるが、
12歳くらいの頃って、大人っぽいことが言いたいし、
本当の自分の気持ちとかなんてよくわからない、
ただなんかかっこいいことが言ってみたかったり、
何か自分が変わったんだということを外に示したかったりする。
そんな気分でうごく小学生のいうことを
大人が間に受けて、こんなふうに使ってしまったら
彼女は絶対に後戻りできなくなってしまうのでは?


神山氏は
「小学生の彼女の人生を、あなたが何の権利があって決めるのですか?!」
と言っていたが、
だれもそんなこと決めるなんてまったく言っていないし、
仮に「こうしなさい」言ってたとしても師弟関係なのだからいいのでは?
彼女と佐村河内氏が結んだ師弟関係というのは
そういう信頼関係のことなのではないだろうか?


そして、障害があることを利用するよう彼女に強要した、
とも神山氏は攻めていたが、

それは彼女の音楽を純粋に聞いてもらうための
最初の一歩にすぎない、
大きな計画の一部だということを
なぜ神山氏は理解できないのか?

それとも理解しているけど
この騒動を大きくするために理解しないふりをする必要があるのか。

佐村河内氏の見えているゴールは
障害を持つ人が奏でるからという理由ではなく、
あくまで本物のプロとして
みんなを感動させる音楽を奏でるところにある、
それは佐村河内氏のメールから感じ取ることができる。



わたしが思うのは、
神山氏がここでおかしなやりかたで騒ぎ立てなければ、
誰も被害になんてあったと感じないのでは、
ということだ。

彼女だって数年たって大人になれば、
一度彼から離れたってまた戻りたくなっていたかもしれない。
バイオリンをやめたとしても、
友人として佐村河内氏は彼女をまた翼の中に入れていただろう。

でも、神山氏のせいで
彼女はもう2度と誰よりも真剣に
話を聞いてくれる彼の元には戻れない。

そして、自分のペースでバイオリンを弾いていくといっても
いい先生を紹介したり、
あらゆるの面でサポートしていたのは佐村河内氏なわけだから、
プロは完全にあきらめて趣味でやっていく他はない、
それはどういうことなのか、
と気づいていくだろう。


いくら数回、神山氏ががんばって
コンサートらしきものを用意したところで、
佐村河内氏の彼女への熱量とは比べ物にはならない。
そのスケールだって違うだろう。


神山氏が彼女のことを持ち出して
過剰に騒いだことにより、
彼女は戻るところを失ってしまったのではないだろうか。


彼女の人生を、
それこそ強引に決定してしまうことをしたのは、
神山氏自身なのでは、と感じた。


そして、この一連の騒動で、
誰が一番得をしたかといえば、
神山氏本人なのではないかと思う。

(神山氏はこの記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」 を書き、大宅壮一ノンフィクション賞の雑誌部門で受賞した。上記のような冷静さに大きく欠けた内容を堂々と本にする人の記事が受賞するなんて、日本文学界もどうかしてる



問題の源を探るには、そのことで誰が得をしたかを見ればいい
と言っていたのは誰だっただろうか。


神山氏はこれにより三次元的には名をあげたように見える。
彼はもはやこの騒動に関して興味は失っているだろう。
いまごろは佐村河内氏に感謝さえしているかもしれない。




::::::::::::::::



ところで、なにより一番興味深いのは、
ゴーストライターをしていた新垣氏、
であることはまちがいない。

彼が、自分の名を出したいとは
まったく思っていなかったらしい
(本当にそうらしい)ということについてだ。

共作にしてほしいと頼んだことすらなく、
自分の名がないことに対して
恨んでいた気配すら一切ない。
と言うよりも、そこに不満を持ってはいなかったようだ。


最初の2回はギャラすらなく、
しかし佐村河内氏がその仕事をデカくやるために
自腹を切って膨大なスタジオ代などを支払っていることに
感銘さえうけて、偉いな、とさえ思っていたという。

その後も、ギャラの請求は彼からしたわけではなく、
佐村河内氏が、いままで出せなくて悪かった、次のは二百万でどうか、
と提案してくれたらしい。


このゴーストと神山氏が呼ぶやり方も、
こういうプロジェクト
(インスピレーションを与えるものがいて、それに基づいて実際に作る人がいて、ものができる)ととしてのやり方もある、
と彼は思っていたみたいだし、
私も、本当にそう感じた。

芸術の世界ではべつに普通なことなのでは?
そんなこと言ったら
マーク・コスタビとかファッションの世界とかどうなるんだろう?


:::::::::::


ここで重要なのは、
新垣氏は、
佐村河内氏と一緒に作った作品は、
彼の存在なしではできていなかっただろうと言っていることだ。

佐村河内氏からもらう指示書が、
クラシックのことを深く勉強している彼にとっては
どんなに稚拙なものであっても、そんなことはどうでもよく
作曲中にその指示書を手元に置いておく必要はあった、
と著書に書かれている。

それは、新垣氏にとって、
佐村河内氏の求めることがインスピレーションとして非常に重要であり、
曲が生み出されるためには必要であった、ということだと感じる。


:::::::::


新垣氏は、本の中で、
曲は佐村河内氏のためだけに作っていた
(彼が求めるものを作ることだけを新垣氏は目的としていた)
と書かれている。

それは、クラシックを勉強し尽くしてきた新垣氏にとって
邪道な曲だったとしても、
佐村河内氏が求めるならばそれを書いた、
ということのようだ。

鬼武者


そして、自分の名前では絶対に出せない
(クラシック界のあり方を知っている新垣氏にとっては出すのが恥ずかしい)
ベタなものでも、佐村河内氏の名前で出るわけだから、
その曲に対しての評価も責任も関係なく、
その下で好きなように自由に才能を泳がせていたとも言えるのかもしれない。
自分ひとりならば絶対につくらないようなやり方で。


(佐村河内氏が仕事をとって来なければ、新垣氏は彼なしの人生だった場合、
オーケストラに演奏してもらう交響曲なんて作ることはありえなかったそうで、
でも、佐村河内氏が求めるありえない長い交響曲を書いたことで、非常に勉強になったこと、そして、その指揮をさせてもらったことで非常に感激したこと、などが神山氏の本にも書かれている。)


::::::::::::::

新垣氏の本を読む限り、
新垣氏はこの騒動(?)についてはさほど本気で言及していない。

彼がなぜ本を出したかといえば、
今まで佐村河内氏と作ってきた曲は、
じつは自分の本領の部分ではないのだ、
ということを
クラシック界の一員として言わずにおれなかった様子。


いままで勉強してきた経緯が書かれていて
(これは事件のことだけを知りたい人には興味が持てない部分かもしれない)、
佐村河内氏の過剰なきらびやかなリクエスト
(一般に人にとってはクラシックだとしても新垣氏にとっては
ポップス(とまでは新垣氏は言っていないが)のようなもの)

に応えてつくったものは、自分の本意ではない、
だが、なぜか皮肉にも、
それが今の世界が求めているものだった、
ということが書かれている。

彼は、本の最後に、
これから、佐村河内氏と作った「交響曲第一番」を超える交響曲を作らなくては、
と本に書いていたが、Youtubeで検索してみたところ、
あった!



本には、その曲は佐村河内氏と作ったようなロマン派なものか、
もしくはもともとの自分らしいものになるかはわからないけど、
というようなことが書かれていたが、
素人の私が聞く限りでは、
佐村河内氏と一緒にやっていたラインの続きのように聞こえた。

それはまるで佐村河内氏へのラブレターのようである。

佐村河内氏の具体的な指示というインスピレーションはなくても、
新垣氏はいまだに彼のために曲を作っているかのようだ。

佐村河内氏は、
ものすごい磁力のインスピレーションを新垣氏に与えたということだろう。
それをだれよりもいちばんよく知っているのは、新垣氏なのだ、
と思う。

新垣氏は、佐村河内氏の不在が寂しいだろう。
恋しいかもしれない。


新垣 隆:交響曲 《連祷》 -Litany-
新垣隆
Universal Music =music= (2016-11-16)
売り上げランキング: 2,428



少なくとも、佐村河内氏は、
新垣氏の受動的な人生を変えたと言えるのでは。


::::::::::::::




わたしがライターの神山氏の言っていることが
とんちんかんだなと強く感じるは、
まずなんといっても佐村河内氏のことを、
とにかくなんでもいいから名をあげたいエゴイスト、
または嘘つき、という認識で語っているところ。


私が見たところでの佐村河内守氏は、
そのような人だと感じなかった。

わかりやすい言葉で言うならば、、、

普通の人間では考えられない
超越した次元での
エンターティナーということ以外にありえない。

ふつうの人では考えられない
大きな夢を本気で叶うと信じている人、
そして、みんなにも夢を楽しんでもらいたい人。



魂の旋律-佐村河内守
魂の旋律-佐村河内守
posted with amazlet at 18.09.22
古賀 淳也
NHK出版
売り上げランキング: 415,710


NHKスペシャルでの、失笑並みの演技も、
そのほうがみんなが喜ぶことを
彼は知っているからやっているだけで、
騙すというより、みんなのためにしていたと感じる。
これをおいしすぎる映像がたくさん撮れすぎたと
感じない、危惧しないでそのまま流すNHKのほうに問題があるだろう。



それに、もし、佐村河内氏が本当に傲慢なエゴの塊な人間であれば、
18年もつきあってきた新垣氏に対して、
神山氏の本に載っていたような
新垣氏を尊重する丁寧なメールの書き方はしないのでは。


普通の人間ならば、
18年も一緒にこのような作業をやっていたら、
新垣氏を自分の下請けをする人間、という認識になって
扱いは荒くなって当然だろう。


だけど、佐村河内氏の新垣氏へのメールは
まるで会ったばかりの人間に
丁寧に何かをお願いしている程の驚くべき低姿勢&丁重さがあった。

これは異常といってもおかしくないレベルの低姿勢であると思う。

::::::::::::


問題があるとすれば、
彼の信じている大きなファンタジーを
この世では誰も信じる力がない、
という話でしかないと思う。

そのズレが、彼を悪く見せているのだと思う。
そして、彼はそこにおいての弁明をするすべを知らないのだ。


彼は、
やがて世界で通用する音楽プロデューサーになる、
そうしたら新垣氏を絶対に引き上げてバックアップするから、
と言っていたそうだ。

新垣氏はそれを
バカ言って、くらいにしか思ってなかったようだが、
佐村河内氏は、本気でそこを一直線に目指していたはずだ。

だからこそ新垣氏にも、
その時点でがんばってもらわなければいけなかったのだと思う。
すべてはそこにいくためのプロセス、
ということを誰もわかっていない。


:::::::::::



佐村河内氏は、作曲家としてみんなに認められることが
そんなに重要ではなかったはず。

だけど、世界のプロデューサーという大きな夢のためには、
どうしてもその過程が必要だったということだ。

虚言癖と世間が言うのも、
その夢のためにやっていることでしかない、
ということを世間はわかってない。


新垣氏が二人のプロジェクトをやめなくてはいけない、
と感じた、
佐村河内氏がひとりで楽譜を書いている、作っている、
と演技していること、

それもぜんぶ夢のプロセスのためであり、
人を楽しませることであり、
佐村河内氏にとっては、エゴでやっていることではないだろう。
だからここまで馬鹿馬鹿しいことができるのだと思う。
(この境界が難しく、人は、なんて嘘つきなの!とか思うのかも)


:::::::::::


孤児院を作りたい、というのも、
本当に本気だと思う。

彼は子供達との交流がうまい。
まるでドラマの白馬の騎士のようなことを子供達にいう。
子供たちがそれをどうとらえているかどうかは知らないが、
彼は、彼自身のファンタジーの中で
本気で全身で子供達と接しているように感じられる。

しかし、ファンタジーと言っても、
彼はずーっとそのファンタジーの中で生きてきたわけであり、
彼の人生の全てであり、
それはちょっとやそっとで崩れるようなファンタジーではないのだ。

実際、彼はそのファンタジーを強く信じているおかげで、
いろんなチャンスを手にしてきている。

全盲と言っていないときでさえ、
第二の矢沢(永吉)として
レコード会社数社からスカウトされていたらしいし、
しかもデビュー直前に弟さんが亡くなり、
そのショックで広島に帰ってしまったことがきっかけで
話が立ち消えになってしまったらしい。

だけど、考えてみて。
本当にエゴ第一の人間ならば、
こんな成功の入り口に立った大事なときに、
広島にパッと帰ってしばらく出てこない、
なんてことをするだろうか?
普通の芸能人になりたい人間は絶対にそんなことしない。
親が死んでもしないかもしれないくらいだ。


:::::::::



私には、佐村河内氏の何がそんなにいけないのか、
この騒動(?)のあらゆる点をみても
わからないのだった。

ファンタジーの中で本気で生きている人間のお話、
それをふつうの人間の次元で語ること自体が
とてつもなく変なことになるのだと思う。

ただそれだけの話では?

人間は、佐村河内氏の
現実を超越した次元にまだ追いついていないのだ。




そして、宇宙は今、
神山氏という人間を使って、超低い次元に
佐村河内氏を引き落として一度失速させたわけだけど、
佐村河内氏のファンタジーは消えたわけではないだろう。
これから彼がどんな夢を見るのか、
見させてくれるのか、
とても楽しみ。




posted by R (あーる) at 08:29| Comment(4) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

絵が売れるという奇跡✨

40129147_1755547864542510_4957997980352249856_n.jpg

一昨日は記念すべき日だった😃✨

ありえないことに、
オオカミとチーターのスケッチを欲しいと言ってくれて
2枚も買ってくれた友人がいたのだ🙇‍♂️

本当にありがとうございます❣️

なんてありがたいことが起きるんだろうとドキドキした。

うれしくて、いい気になってまた絵を描いてしまった。


40199352_1756590974438199_9044489492244725760_n.jpg

オオカミの次に好きなキツネ。
だけどイメージ通りにはいかない😓

描いていて気がついたのは、
動物の目というのは、
常にとてつもなく落ち着いているということ。
描いていて、なんか違うなというときは、
大抵、目が落ち着いてない。


:::::::::::::

40129147_1755547864542510_4957997980352249856_n.jpg

買ってもらったチーターは、
キツネの前に描いたやつ。

チーターは、身体のバランスも、
顔のバランスも不思議。
難しすぎてタヌキのようになってしまった。

3回くらい途中でやめようかとおもったが、
一応最後まで描いた。

私はveganなのに、
絵を描くなら、草食よりも
肉食動物のほうに強い魅力を感じる。

危機感のある目つきがいいのだろうか。

BFは極楽鳥やお花を描いてみたらどう?とか言う。

:::::::::::::

40258767_1757730997657530_7472104434785320960_n.jpg


昨夜は、熊を描いてみようと思って、
Netflixでいろいろ熊を見てみたが、
目があまり好みではなかった。

やはり、虎とかオオカミとか狐がいいな。

キツネやオオカミは、
キレイじゃなくて、目つきの悪そうな
ひもじそうな顔してるとすごくいいな。

結局、またオオカミ🐺を描いた。

描きたい感じとちょっとちがうけど。


サクラクレパス クレパス 24色 ゴムバンド付き LP24R



この サクラクレパスで動物描くマイブームは
いつ終わるだろうか??

もうすぐな気がする。

サクラクレパス クレパス 90色 クレパス誕生90周年記念 LP90-AN
サクラクレパス (2015-10-03)
売り上げランキング: 59,249


posted by R (あーる) at 08:54| Comment(0) | クリエイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
アクセス解析タイ・バンコク情報